2つのピッケル

山男だった義理の祖父(明治生まれ)と父(大正生まれ)が、二代で愛用し使い込んだ、2つのピッケルです。
使い手の命を預かる大切な道具は、余計なものが一切削ぎ落とされ、究極のかたちをしているように思います。
機能性をとことん追求して辿り着いたものには、たとえそれが美を追求して作られたものでなくとも、自然と丈夫で健やかで潔い美しさが宿ると思っています。
遺されたピッケルのひとつは、大正時代のスイス製のもの。熟練職人によって作られた、アノニマス・デザイン(無銘の美)であると感じます。
もうひとつは、山内(ヤマノウチ)ピッケル。古い山男なら知らぬ者はいない-稀代のピッケル鍛冶師山内東一郎(1890-1966)の晩年の作品です。
祖父が鉄を扱う仕事をしていた縁があり、仙台に住む山内氏に依頼して制作してもらったもので、出来上がってきたとき、あまりの嬉しさに、布団の中で大事に抱いて眠った-というエピソードを聞きました。
剱岳、白馬大雪渓、涸沢、槍・穂高連峰、富士山など…雪氷期の登山や岩登り、山スキーには必ず携行し、二人を常に守ってくれた2つのピッケル。今は、私が見守られているような気がしてなりません。
まもなく義父の一周忌。
やさしかった義父を想います…